イメージの苦悩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 07:52 UTC 版)
「ティファニー (アメリカの歌手)」の記事における「イメージの苦悩」の解説
彼女は、過去のブランクをうめるために沢山のメディア出演やゲスト・ボーカルでのレコーディング参加を精力的に行っていった。1980年代に人気を博した彼女のティーンポップ・パフォーマンスからはかけ離れたイメージ・チェンジのため、当時30歳で母親でもあったティファニーが、『PLAYBOY』誌の2002年4月号の表紙をヌードで飾った。1987年に行なわれたティファニーのティーン時代のショッピングモール・ツアーが、その当時のファンの思い出にしっかりと刻み込まれているため、15年経った今でもティファニーにとって“モールの女王”というイメージを振り払うことは難しかったための対策だった。「もし今回のことでイメージを壊すことができなかったら、何をやっても無理だと思う」と彼女はインターネットの掲示板で述べる。 アルバム『カラー・オブ・サイレンス』を、2000年11月21日にリリース。ファースト・シングルの「I'm Not Sleeping」もビルボードお墨付きをゲット。アルバムのビルボードの評価もとても良かった。 「多分このアルバムが、最低でも1度はほとんどのレーベルのデスクに渡ってると思うんだけど」。 「結局、資料の上では良く見えるんだけど、悲しいことに私が歌っていることが単純に“クール”ではないっていう現実があるの。私は“クール”ではないから、イメージがブレイクしづらい、って言われたわ」。 「今回の写真を誇りに思っているし、出来栄えもとっても気に入ってる。みんなも、私と同様に気に入ってもらえるといいな」。 好調なカムバックを果たすがセールスには繋がらなかった。ラジオのエアプレイに苦戦を強いられる。しかしながらメディアの注目は集まり、精力的な活動のおかげでメディアでの露出は多くなり始めた。中でも『That '80s Show』への出演は好評。残念ながら、彼女が歌手であるための活動やアルバムの宣伝のために動いていたことが『PLAYBOY』でのヌードにより、色物のメディア露出しかオファーがないことにうんざりして仕事をキャンセルすることもあった。彼女の思惑とは違うメディアからの注目は彼女に失望を与えた。
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