イメージは大脳内で何を構成するか
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/17 22:30 UTC 版)
「イメージ」の記事における「イメージは大脳内で何を構成するか」の解説
我々は、読書をしているとき、何かの出来事について心的なイメージが把握できたように感じるのは何ゆえなのか、不思議に思うことがある。また白昼夢を見ていた場合にも疑問は起こる。このような経験で得られる心的イメージは、あたかも頭のなかに絵があるように見える。例えば、音楽家が歌を聞く場合、時として頭のなかで歌の「音符」が見えることがある。これは残像(after-image)とは異なっている。例えば、何かの出来事から誘導された残像は、意識的なコントロールの許にはないと考えられている。しかし、他方、想像において、あるいは心のなかでイメージを想起する場合、イメージは意志の自由になると考えられる。それ故、イメージまたは心像というものは、様々な意識的コントロールの度合いを持つものとして特徴付けられる。 ある生物学者たち[誰?]によれば、我々は環境世界についての経験を、心的イメージとして蓄積しており、心的イメージは他の心的イメージと連合されたり比較され、こうしてまったく新しいイメージが合成されるのだとされる。例えば、夢を見たり、想像力を働かす場合に、このようなことが起こる。この理論は、このような過程によって、我々は、世界がどのように働くかに関する有用な理論を、心的イメージの適切な連続に基づいて構成することが可能になり、この機構は、推論・演繹あるいはシミュレーションの過程を通じて得られる結果などを直接に経験しなくとも成り立つと主張する。人間以外の生物が、このような能力を持っているかどうかは議論されている(「動物の認識」を参照)。
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