イネス・リグロン(IBG Japan)時代
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「ミス・ユニバース・ジャパン」の記事における「イネス・リグロン(IBG Japan)時代」の解説
その後はスポンサー不在のため、2年間に亘って日本大会が休止されたが、1998年(平成10年)にフランス人のイネス・リグロン(IBG Japan株式会社)をナショナル・ディレクターとする「ミス・ユニバース・ジャパン」として新たに復活した。 2004年(平成16年)から、栄養コンサルタントにオーストラリア人のエリカ・アンギャル(15歳の時に大分県に語学留学した経験から日本語が堪能)が起用され、日本大会ファイナリストに栄養指導を行った。 特に、この時代の中期~後期には、世界大会で優勝した2007年の森理世を筆頭に、2003年の宮崎京(世界5位)、2006年の知花くらら(世界2位)、そして後に日本大会のナショナル・ディレクターとなる2008年の美馬寛子(世界14位・Best of Asia)ら、世界大会TOP15以上の上位・優勝争いに絡む日本代表を多く輩出し、自身も2007年の世界大会で「ベスト・ナショナル・ディレクター」として表彰された。 2009年、リグロンはIBG JAPANを株式会社HDRに譲渡した。その後、リグロンは、2011年(平成23年)大会をもって退任するまで、14大会に渡ってナショナル・ディレクターを務め、また、その退任後も2012年大会までは、IBG Japanが運営ライセンス権を保持し、大会を運営した。
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