イグアノドンの歯を同定するまでの経緯
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「ギデオン・マンテル」の記事における「イグアノドンの歯を同定するまでの経緯」の解説
1811年、ドーセット州のライム・リージス (Lyme Regis) 村に住むメアリー・アニングは、あたかも巨大なクロコダイルのような、後にイクチオサウルスと名付けられる魚竜の化石を発見し話題となった。マンテルはこの衝撃的な出来事に触発され、彼の住む地域で見つけられる動物や植物の化石に多大な関心を払うようになった。彼は特有の石灰岩質で覆われているウェールド (Weald) 一帯で見つかる化石を収集した。その地層は中生代白亜紀前期に形成されたもので、円石藻をはじめとする海生生物の化石を含んでいた。1819年頃には、クックフィールド (Cuckfield) 村近くのホイットマンズ・グリーン (Whiteman's Green) にある採石場から化石を得るようになり始める。それまで知られていたイギリスの白亜紀の化石が全て海生のものであったにもかかわらず、そこで採取された化石には同年代にその土地が陸地や汽水域だったことを示すものがあった。彼はその特徴的な地層が歴史的な森林地帯にあることにちなみティルゲート・フォレスト (Tilgate Forest) 層と名付けた。後にこの層は白亜紀後期に属することが示された。 1820年頃、マンテルはクックフィールドでとても大きな骨の化石を見つけるようになる。それらはウィリアム・バックランドがオックスフォードシャー州のストーンズフィールド(Stonesfield) 村で見つけた化石(後にメガロサウルスと名付けられる)よりも大きかった。1822年、執筆中の『サウスダウンの化石』 (The Fossils of South Downs) という題名の本が完成する直前に、彼は同定不能ないくつかの大きな歯の化石を発見する。これこそが後にイグアノドンの歯と同定された化石である。その前年の1821年、マンテルは次回執筆する本としてサセックスの地層を主題としたものを計画し、購入希望者を募っていた。するとすぐに200人から申し出があり、驚くべきことにその中には時のイギリス王ジョージ4世も名を連ねていたのである。マンテルはそれによって自信を持ち、発見した歯を他の科学者にも見てもらうことにしたが、期待に反してその答えはどれも的を外しており、魚か哺乳類の歯だと言う人や、白亜紀の地層から出土したものではないと判断する人がほとんどであった。著名なフランスの博物学者で解剖学にも精通していたジョルジュ・キュヴィエでさえ、その歯はサイのものであると断定した。 それでもマンテルはその歯が中生代のものであると信じて調査を続け、それがイグアナの歯にそっくりなことを発見した。しかし、その大きさはイグアナの歯の20倍はあり、その事実から歯の持ち主は全長18mもの巨体であると推論された。
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