イギリス領期(1713年 - )
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「ジブラルタル」の記事における「イギリス領期(1713年 - )」の解説
1713年4月11日にユトレヒト条約の締結によって戦争が終結するものの、その条約でジブラルタルはイギリス領として認められ、スペインは奪回の機を失った。アメリカ独立戦争中はスペインが独立軍の支援にまわり、1779年からジブラルタルへの厳重な封鎖を行った(ジブラルタル包囲戦)。イギリス軍は1782年に浮き砲台と包囲兵を撃破し、包囲網を破ることに成功した。翌年にはパリ条約に先立ち、講和が行われ、ジブラルタルは解放された。 1805年、トラファルガーの海戦ではイギリス海軍の拠点となった。その後、インドへのルートにスエズ運河の開通で地中海が加わり、蒸気機関を動力とする装甲巡洋艦などが海軍で普及すると給炭基地の役割も求められ、第一次世界大戦においてもジブラルタルが重要視されるようになった。 第二次世界大戦中もジブラルタル海峡の封鎖を行っていたフランスがドイツに敗北し、親独政権であるヴィシー政権が設立されフランス海軍がその指揮下に入ると、イギリス海軍H部隊がジブラルタルに配備された。トーチ作戦ではアメリカ軍もジブラルタルを拠点にした。なお、ドイツ軍はジブラルタルを陸路から攻略することを企て、フランシスコ・フランコ独裁下にあり中立国であったスペインに参戦と協力を要請したが、拒否された(フェリックス作戦)。 第二次世界大戦後は、東西冷戦がはじまるもイギリス海軍が役割を縮小すると同時にジブラルタルの軍事的役割も低下した。1967年にイギリス地中海艦隊が解体され、これに代わるアメリカ海軍第6艦隊はイタリアのガエータを拠点にしている。 しかし、1982年のフォークランド紛争や1986年のアメリカ空軍によるリビア爆撃で再びジブラルタルと基地の重要性が確認され、現在もイギリス海軍のジブラルタル戦隊 (Gibraltar Squadron) が駐留している。
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