イギリス人の再登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/06 05:09 UTC 版)
「ブルネイの歴史」の記事における「イギリス人の再登場」の解説
1786年、イギリスはマレー半島の西岸、シャムの影響力が強かったペナン島の領有に成功する。マラッカ海峡の最北部にあたり、オランダからは脅威と見なされなかった。 フランスとの戦争に乗じて1811年から1816年にかけてジャワを占領したが、イギリス政府は、短期的な利益の見込めないジャワをオランダに返還することに同意。行政官のラッフルズはジャワ返還に反対したが、職を辞す結果につながった。ラッフルズは、マラッカ海峡にイギリスが食い込む方法を研究、現地視察を重ねる。1819年、ジョホール海峡の南に広がる森林地帯、シンガポールを開発すれば良港になりうることを見抜く。現地首長との交渉により、シンガポール領有に成功した。その後、首長単位、港市単位に粘り強い交渉を重ね、首長に高額の年金など一見有利な条件を見せて、保護国化を進めて行く。 スズ鉱山へ中国人、ゴム農園にインド人を大量に導入し、人種ごとに法律や税金を変えるなど、人種間の争いが進む方向に誘導し、イギリス支配に対する反発をそらすことに成功した。
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