イギリス人の追放 (1666年)
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「クロード・ド・ルー・ド・サン=ローラン」の記事における「イギリス人の追放 (1666年)」の解説
サン=ローランはセントクリストファー島のイギリス人に対し、土地を売り払い私財と奴隷を持って島を退去するか、島に残ってフランス王の臣民となるか、という2択を突き付けた。島に残ることを選択した者は、プロテスタントの信仰を表立って維持することを許されなかった。それでもなお、サン=ローランはこの残留旧イギリス人を脅威と見なしていた。近いうちにイギリスが島の奪還を試みると考えていたからである。それに備え、サン=ローランはフランス領マルティニークやグアドループから増援部隊を受けた。フランスに敵対的な住民はネイビス島やモントセラト、もしくはその他のイギリス植民地へ追放された。まず500人から600人のイギリス人「放浪者」が追放され、続いて800人のアイルランド人、最後に土地所有者が追い出された。島に残った8000人も、多大な犠牲を強いられた。島に4つあったプロテスタント教会は差し押さえられ、解体された。
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