イギリス人墓地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/09/18 05:32 UTC 版)
イタリアの考古学者パオロ・ギャロ博士は、2000年にこの島でたくさんの墓を発見した。イギリスの歴史家ニック・スロープと協力して行った発掘と研究により、この墓地が1798年のナイルの海戦と、1801年に起きた陸戦に由来するものであると確認された。イギリスの士官、水兵、海兵隊員、それに女性と子供たちの遺骸が発掘された。 2005年4月18日、島から回収されたイギリス海軍将兵30人の遺骸は、アレクサンドリアのChatby 英連邦戦没者墓地(Chatby Commonwealth War Cemetery)に改葬された。遺骸のうち1体はジェームズ・ラッセル海尉艦長のものであることが特定された。遺骸の収容には、当時の駐エジプト英大使デリク・プランビー(KCMG)、アレクサンドリア総領事アラン・コブデン、アレクサンドリア市長アブドル・サラム・エル・マフグブ将軍、イギリス軍艦「チャタム」の乗組員およびラッセル艦長の子孫が立ち会った。
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