イギリス人初優勝者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 15:40 UTC 版)
「マイク・ホーソーン」の記事における「イギリス人初優勝者」の解説
1952年第3戦ベルギーグランプリにて、クーパーに乗るプライベーターとしてF1デビュー、予選6位から4位に入賞した。その後、デビュー3戦目となるイギリスグランプリで3位に入り、初表彰台を記録する。本格的なレース経験2年目にして非力なクーパー・ブリストルで見せた好走により、当時の最強チーム、フェラーリへの加入が決まった。 翌1953年はフェラーリワークスチームの一員として参戦し、第5戦フランスグランプリで初優勝した。チャンピオン経験者のファン・マヌエル・ファンジオを相手にマッチレースを繰り広げ、最終ラップの最終コーナーで逆転するという見事な勝利であり、「ランスの名勝負」として知られることになる。当時としては最年少優勝記録(24歳)であり、イギリス人として初の優勝、また、フェラーリのエースドライバー、アルベルト・アスカリの連勝記録を止める結果にもなった。これをはじめ、3度の表彰台を含めて参戦した8戦全てに入賞し、ランキングで4位となった。 翌1954年も、参戦した8戦中4度の表彰台を含む5度の入賞。最終戦スペイングランプリでは自身2勝目を挙げ、ランキングでも2位に入った。
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