アルコールウニの瓶詰とは? わかりやすく解説

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アルコールウニの瓶詰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 05:33 UTC 版)

ウニ」の記事における「アルコールウニの瓶詰」の解説

アルコール漬けウニ瓶詰下関六連島発祥とされている。山口県は、塩ウニ含めた瓶詰めウニ生産量日本全国の約4割を占める。 誕生 明治4年六連島灯台建てられ多く外航船寄港するようになった。特に六連島捕鯨船停泊地であったことから多く外国人がいたようである。島の寺院西教寺住職であった蓬山和尚宴会の席で、同席していた外国人水先案内人お酒ジン)を注ごうとしたところ、誤って酒肴として出されていた塩ウニ(生ウニとも言われている)にこぼしてしまった。あわてて取り替えようとしたが、外国人水先案内人そのまま口にし、とても喜んで食べた。それを見た蓬山和尚もひと口食べたところ、お酒加わった事でウニ香り口当たりがとても良く美味しくなっている事に驚き、これを改良して今の瓶詰原型となるものが誕生した当初木樽陶器入れられていたが、衛生面問題外見考慮し、のちにガラス瓶詰められるようになったまた、加工方法も「焼酎漬けであったため、当初焼酎用いて作られていたが、中には時間が経つにつれて焼酎含まれる酵母発酵進み、瓶が割れるなどの問題発生していた。和尚より製造方法受け継いだとされる城戸久七はこれをさらに改良し、高純度エチルアルコール用いることで今のような安定した瓶詰め生産できる至った伝承 城戸久七は独自の製造方法からウニ瓶詰元祖となり、「雲丹久」という商号有名になった。当時16歳であった上田甚五郎城戸久七に弟子入りし、アルコールウニの瓶詰め製造方法を学ぶこととなる。甚五郎31歳の時、高齢となった城戸久七は永年研究培ってきた製造方法後世に残すべく、甚五郎にその全て伝授した甚五郎この後研究重ね、今の「うに甚」となった

※この「アルコールウニの瓶詰」の解説は、「ウニ」の解説の一部です。
「アルコールウニの瓶詰」を含む「ウニ」の記事については、「ウニ」の概要を参照ください。

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