アラブ反乱旗とアラブ・ナショナリズム
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「パレスチナの旗」の記事における「アラブ反乱旗とアラブ・ナショナリズム」の解説
?アラブ反乱旗 ?イギリス委任統治領パレスチナ時代のイシューブ(ユダヤ人共同体)の旗(1924年~1939年) ?イギリス委任統治領パレスチナの商船旗(1927年~1948年) ?イギリス委任統治領パレスチナの商船旗 ?現在の国旗(縦横比2:3の別タイプ アラブ反乱旗の起源については諸説あり不明なところも多い。ある説によれば、1909年にオスマン帝国の首都イスタンブールにいたアラブ人民族主義者の団体「文学クラブ」(アラブ知識人委員会)が、13世紀のアラブの詩人サフィ・アッ=ディン・アル=ヒーリー(Safi a-Din al-Hili)の詩に基づいて赤・白・黒・緑の色を選んだとされる。また、1911年にフランスの首都パリにいた留学生らが結成した組織「青年アラブ協会」(アル=ファタート、Al-Fatat, Young Arab Society)の手によるともされる。イギリス外務省のマーク・サイクス卿(Mark Sykes、サイクス=ピコ協定を結んだ人物)がデザインを考案したという説もある。 しかし、メッカのシャリーフ(太守)でアラブ反乱を指揮したフサイン・イブン・アリーが1917年にこの旗を反乱軍の旗としたことにより、アラブ民族主義の旗として広く認知されるようになった。 イギリス委任統治領パレスチナの時代には、レッド・エンサインに基づくデザインの旗が使われていた。 1948年10月18日、全パレスチナ政府(en:All-Palestine Government)がガザでアラブ反乱旗を政府の旗として定め、アラブ連盟もこれを承認した。アラブ反乱旗を手直しし色の配置を変えた現在の旗は、パレスチナ解放機構(PLO)が1964年にパレスチナ人の旗に採用した。さらに1988年11月15日、PLOはこの旗をパレスチナ国家の旗に採用した。今日ではパレスチナ人とその支援者がこの旗を幅広く用いている。
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