アラブ人の進出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/04/18 13:38 UTC 版)
「アルメニアのイスラム教」の記事における「アラブ人の進出」の解説
ムスリム系アラブ人は640年にアルメニアへ初めて進出。テオドール・ルシュトニ王子がアルメニア防衛軍を率いた。652年頃和平協定を締結、アルメニア人に信仰の自由が認められた。その後ルシュトニ王子はダマスカスを訪れ、アラブ人によりアルメニア、グルジア、カフカス・アルバニア王国の統治者と認められた。 7世紀末までには、イスラム帝国の対アルメニア政策、対キリスト教政策が厳格化。オスティカン(知事)と呼ばれるカリフの長が派遣され、アルメニアを統治した。歴代知事はドヴィンを居住地とし、アルメニアはカリフの領地と宣言されたものの、全てではないにせよほとんどのアルメニア人が、キリスト教への忠誠を守り続けた。 ヒジャーズや肥沃な三日月地帯出身のアラブ人は8世紀初頭、ドヴィンやディヤルバクル、マンジケルト、Apahunik'といった主要都市へ移住、入植を開始する。
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