アラブ人の統治とビザンツ帝国の再征服
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「ビザンツ帝国領クレタ」の記事における「アラブ人の統治とビザンツ帝国の再征服」の解説
詳細は「イスラーム期のクレタ」を参照 ビザンツ帝国の支配は820年代の後半までに終わり、クレタ島はアンダルス(イベリア半島)からやってきて上陸した多数の追放者の一団によって征服された。ビザンツ帝国は繰り返し彼らを追い払うための遠征を行い、まだ支配下に残されていたクレタ島の部分を統治するためのストラテゴスを任命したと思われる。だが、この一連の遠征は敗北に終わった。ビザンツ帝国はこのサラセン人たちがクレタ島の北岸に本拠地となるカンダクスを建設するのを防ぐことに失敗し、以降カンダクスがクレタ島のアラブ人たち(イスラーム期のクレタを参照)の首都となった。アラブ人によるクレタ島の失陥はビザンツ帝国に頭痛の種をもたらした。この島が陥落したことでエーゲ海の海岸地帯が海賊たちに開放された。 テオクティストス(英語版)が指揮する842/843年のビザンツ帝国の大遠征は、同時代史料である『Taktikon Uspensky』にクレタ島のストラテゴスの存在が記されていることから証明されるように、明らかにある程度の成功を遂げ、奪回したクレタ島の一部にテマを再建した。しかし、テオクティストスはこの遠征作戦を放棄しなければならず、残された軍隊は瞬く間にサラセン人によって撃破された。911年と949年の更なるビザンツ帝国の再征服の試みは悲惨な失敗に終わり。そして960年から961年にかけて将軍ニケフォロス・フォカスが大軍を指揮してクレタ島に上陸し、カンダクスを攻略(英語版)し、この島をビザンツ帝国の下へ戻した。
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