アマチュア時代からメジャー定着まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/23 21:48 UTC 版)
「クリス・ヤング (投手)」の記事における「アマチュア時代からメジャー定着まで」の解説
アイビー・リーグの名門プリンストン大学で政治学を専攻していたクリスは、野球、バスケットボールの両方で新人王を獲得するなど優れたアスリートであった。3年次の2000年のMLBドラフト3巡目(全体89位)でピッツバーグ・パイレーツから指名を受けたがすぐには契約せず、勉強を続けながら学位を取得してもよいという確約を得た9月6日にパイレーツと契約した。3年生一杯は大学にとどまり、4年次はスプリングトレーニングにレポートを持ち込み、移動のバス内で論文を書くといった慌しさが5月の卒業まで続いた。この年は夏に傘下のA級ヒッコリー・クロウダッズに合流したため12試合の先発に終わった。翌2002年はA級ヒッコリーで26試合に先発し11勝9敗・防御率3.10の成績であった。 2002年12月20日にマット・ハージェスとのトレードで、もう一人のマイナー選手と共にモントリオール・エクスポズへ移籍する。だがハージェスは翌2003年の開幕直前に解雇され、ヤングはただで放出された形になった。しかもハージェスはこのシーズン、サンディエゴ・パドレスとサンフランシスコ・ジャイアンツで67試合に出場している。 2004年4月3日にテキサス・レンジャーズへトレードされ、AA級フリスコ・ラフライダーズ、AAA級オクラホマ・レッドホークスで投げた後、8月24日のミネソタ・ツインズ戦でメジャーデビューを果たした。この年は7試合に登板し、3勝2敗という成績を残した。まだAA級フリスコに在籍していた時にNBAのサクラメント・キングスから2年契約を提示されるが、断わっている。2005年は開幕から先発ローテーションに入り、投手に不利な球場を本拠地とするレンジャーズにあって、防御率4.26、エド・コーリアとケビン・ブラウンに並ぶ球団新人最多勝利数となる12勝をマークした。
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