アニメーション映画製作とディズニーとの係争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 07:44 UTC 版)
「ユニバーサル・ピクチャーズ」の記事における「アニメーション映画製作とディズニーとの係争」の解説
ユニバーサルがアニメーション映画とそのキャラクターをめぐり起こした係争は、アニメーション映画業界の形成、特にウォルト・ディズニー・カンパニーの形成に大きな影響を与えた。 1927年、映画プロデューサーで配給業者のチャールズ・B・ミンツ(Charles B. Mintz)はマーガレット・J・ウィンクラー(Margaret J. Winkler、ワーナー・ブラザース創業者のハリー・ワーナーの元秘書で、フライシャー・スタジオとの仕事やフィリックス・ザ・キャットの版権獲得などで初期のアニメーション映画製作に重要な役割を果たした)と結婚し、彼女の会社ウィンクラー・スタジオの経営を掌握した。ウィンクラー・スタジオを率いる彼は、ユニバーサル映画から、ユニバーサルが配給する予定の新作アニメーション映画シリーズの製作を受注した。この『オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット』(Oswald the Lucky Rabbit)シリーズはウォルト・ディズニーのアニメーション映画スタジオの初期の共同経営者であったアブ・アイワークス(Ub Iwerks)により製作された。若き日のディズニーは当時、ウィンクラー・スタジオと契約して数々の短編アニメーションを手掛けており、『オズワルド』もそうした一編であった。 『オズワルド』シリーズは1927年、ユニバーサルによる劇場公開で高い収益を得た。キャラクターを作ったのはディズニーの一員のアイワークスであったが、その所有権はユニバーサルにあった。ディズニーはより高い契約を求めてミンツと交渉にあたったが、ミンツは『オズワルド』の所有権をてこにディズニーに低料金での製作を受け入れるよう要求した。交渉の結果ディズニーは要求をのむことを断りユニバーサルを去ったが、大ヒットした『オズワルド』を作ることのできなくなったディズニーとアイワークスは、ウサギのオズワルドの見た目を若干手直ししたネズミのキャラクター「ミッキーマウス」を作った。トーキー方式で公開された『蒸気船ウィリー』(1928年)でミッキーマウスが初めて登場し大成功を収め、ディズニーが第一歩を踏み出した。一方、カール・レムリはアニメーションの外部委託をやめて自社制作をすることとし、1929年から1930年代半ばまでウォルター・ランツの「ユニバーサル・カートゥーン・スタジオ」に『オズワルド』シリーズなどを作らせ続けたが、『オズワルド』に続く大ヒットキャラクターを生み出すに至らず、比較的マイナーなアニメーション製作者となるにとどまった。
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