アタランテ・ミリオロッティ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 14:13 UTC 版)
「音楽家の肖像」の記事における「アタランテ・ミリオロッティ」の解説
マラーニの1999年の論文は、トスカーナの音楽家、アタランテ・ミリオロッティ(1466–1532年) を肖像画の人物として提唱しており、以降、多くの批評家がこの仮説を支持してきた 。1482年、ミリオロッティとレオナルドはフィレンツェを去り、ミラノのルドヴィーコ・スフォルツァの宮廷に向かった。2人は友人であることが知られており、レオナルドはミリオロッティにリュートを教えたと考えられている。絵画が構想された時期、ミリオロッティは10代後半または20代前半であり、肖像画の適切な候補者になる。さらに、アトランティコ手稿の1482年の目録で、レオナルドは、「顔を上げたアタランテの肖像画」を挙げている 。これは『音楽家の肖像』の習作、またはより早い時期のバージョンであったと考えられている 。本作の親密な性質は、人物が個人的な友人であった可能性を特に大きくしている。 この仮説に反対する主な議論は、1482年のメモに書かれているように人物の顔が上向きではないということである。しかし、マラーニは、音楽家の顔は文字通りの意味では上向きではないが、「表情は高揚しているように見え、楽譜から顔を上げたばかりの歌手を示唆している」と述べた。フランキヌス・ガフリウスが有力候補として広く否定されて以来 、ミリオロッティ説は現在、多くの批評家に支持されている 。
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