フランキヌス・ガフリウス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 14:13 UTC 版)
「音楽家の肖像」の記事における「フランキヌス・ガフリウス」の解説
建築歴史家のルカ・ベルトラミは、肖像画の人物はフランキヌス・ガフリウス(1451–1522年)であると提唱し、ガフリウスは、20世紀初頭、肖像画の主要な候補者となった。ガフリウスはミラノの司祭であり著名な音楽理論家であり、ルドヴィーコ・スフォルツァの宮廷音楽家であり、ミラノ大聖堂の聖歌隊指揮者でもあった 。ガフリウスはまた、レオナルドの知人であった。というのは、共にルドヴィーコに雇用されていたことに加え、ガフリウスの1496年の音楽論文である『Practica Musicae』には、レオナルドによる様々な木版画が含まれているからである。さらに、ベルトラーミは、「cant」と「an」の文字をラテン語の「Cantum Angelicum」の略であり、ガフリウスによる別の音楽論文への参照であると提唱した。 図像学的証拠がガフリウスとモデルを結びつけないため、ベルトラーミの理論には疑問が投げかけられている。ケンプは、「cant」と「an」の文字は「Cantore Angelico」(イタリア語で「天使の歌手」) であるとした。ケンプの説では、絵画の人物はまた、司祭として正しく特定化できるはずの聖職者の衣服で描かれておらず、絵画が制作された当時、ガフリウスは当時30代前半であったが、絵画の人物は若い男性であると見ている 。
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