アゼルバイジャンへの支援
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 03:54 UTC 版)
「ナゴルノ・カラバフ戦争」の記事における「アゼルバイジャンへの支援」の解説
アゼルバイジャン政府はカスピ海の油田を通じて得た利益で他国から傭兵を招き、これによりロシア人やウクライナ人の傭兵、そして北カフカースや中央アジアからのイスラム教徒の義勇兵がアゼルバイジャン側で戦った。その他にアゼルバイジャン軍は、ファザル・ハック・ムジャーヒド (en) によってペシャーワルで徴募され、グルブッディーン・ヘクマティヤールに率いられたムジャーヒディーンたちによっても支援された。 さらに、アゼルバイジャン側にはシャミル・バサエフ率いるチェチェン人民兵も加わっていた。彼らは同時期のアブハジア戦争(英語版)の際にロシアのGRUから直接軍事訓練を受けてアブハジアのために戦っていた勢力だった。アゼルバイジャン軍大佐のアゼル・ルスタモフ (Azer Rustamov) によれば、バサエフとサルマン・ラドゥエフ(ロシア語版)が指揮した数百人のチェチェン人義勇兵は、アゼルバイジャンにとって大きな助けとなったという。だが、やがてバサエフはアゼルバイジャンがイスラム主義よりもナショナリズムのために戦っていると考えるようになり、戦闘から撤退した。 また、ソ連時代に各地で弾圧されたユダヤ人を保護したことでイスラエルと良好な関係を築いたアゼルバイジャンは、独立後もイスラエルから多くの財政支援を受け、負傷者のケアを行うNPOなどの精神的支援もイスラエルから受けている。アゼルバイジャンと友好関係を築いていたトルコもアルメニアに対して経済封鎖を行い、これはアルメニア側の疲弊に拍車をかけた。米国系の石油企業であるメガ・オイル (Mega Oil) も、石油の掘削権と引き換えにアゼルバイジャンに軍事顧問を派遣している。
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