アイオワ州とニューハンプシャー州
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「2004年アメリカ合衆国大統領民主党予備選挙」の記事における「アイオワ州とニューハンプシャー州」の解説
2003年12月のゴア候補による正式な推薦や、ビル・ブラッドリーやトム・ハーキンなどの重要人物の推薦が力となり、アイオワ州の党員集会に至るまで、ディーン候補は選挙戦ではっきりと先行していた。対立候補であるブラウン候補さえ、ワシントンDCの予備選挙で完全にディーン候補に敗北したことで、選挙戦からの撤退しディーン候補を推薦した。ジミー・カーター元大統領は、2004年の選挙戦では、どの候補も推薦しないと宣言していたが、アイオワ州党員集会の前の週末にジョージア州プレーンズで、ディーン候補と一緒に教会の日曜礼拝に参加し、暗黙の推薦を与えていた。 ところが、2004年1月19日に行われたアイオワ州での党員集会では、予測に反し民主党大統領候補としてケリー候補を強く推す結果となった。ケリー候補はトップで州の代議員の38%を獲得し、2位のエドワーズ候補が32%を獲得した。先行していたはずのディーン候補は、18%で3位に沈み、ゲッパート候補は4位(11%)にとどまった。ディーン候補は、この州で数週間前に行われた世論調査ではリードしており、ゲッパート候補と1位の座を争っていた。そのため、ディーン、ゲッパート両陣営はこの結果に大きなショックを受けた。結果を分析した者の多くは、ディーン候補とゲッパート候補の間で派手なネガティブキャンペーンが行われたことが、両候補の敗北の理由であると指摘した。アイオワ州での結果に失望し、ゲッパート候補は選挙戦から撤退した。 アイオワ州党員集会の後の集会でのディーン候補の演説をテレビが報じると、メディアによる大騒ぎを招き、ディーン候補の選挙運動は更なる打撃を受けた。これは、熱狂的な聴衆が歓呼する中でディーン候補は大声で叫ばざるを得なかったが、自分のマイクが単一指向性のもので、人々の騒音は拾わずディーン候補の声を振り絞った檄だけがテレビの視聴者に聞こえることに気がつかなかった。専門家からコメディアンにいたるまで、ディーン候補の絶叫を騒々しく奇妙なもので、大統領にふさわしくない演説としてテレビで取り上げた。多くの者に「ディーンの絶叫」であるとか、単に「(例の)絶叫」と名づけられ、この演説がメディアで大きく取り上げられたこと自体が更にニュースとなった。 1月27日、ケリー候補はニューハンプシャー州予備選挙で1位となり、再び大きな勝利を挙げた。1週間前にアイオワ州党員集会で最初の投票がなされたときには、ディーン候補はニューハンプシャー州の公式の世論調査で30%リードしていた。これにより、ここでの敗北はディーン候補の選挙運動のもう一つの大きな後退となった。クラーク候補は、ニューイングランド地方出身のケリー、ディーン両候補に次いで、ニューハンプシャー州で3位となった。
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