まやかし戦争〜パリ陥落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 00:29 UTC 版)
「フランス第三共和政」の記事における「まやかし戦争〜パリ陥落」の解説
詳細は「まやかし戦争」および「ナチス・ドイツのフランス侵攻」を参照 1939年9月1日のナチス・ドイツによるポーランド侵攻を受けて、、9月3日にフランスとイギリスはドイツに対し宣戦布告し、軍を動員してフランス・ドイツ国境およびフランス・ベルギー国境沿いに大規模な陸軍部隊を展開した。英仏両軍はマジノ線からベルギー国境にかけて部隊を配置したが、第一次世界大戦における防御側有利の経験に基づいて積極的に攻撃を仕掛けることはなかった。1940年5月、ドイツ軍のフランス侵攻が開始された。参謀総長及び総司令官であったモーリス・ガムラン大将の失策に加えて、戦車の集団的運用を核にしたドイツ軍の電撃戦によって英仏軍の前線は突破され、フランス政府と軍首脳は数日の内に戦意を喪失した。英陸軍はダンケルクの戦いにおけるドイツ軍のミスによりイギリス海外派遣軍のほぼ全てを英国本土に撤退させる事に成功する。南方に進路を変えたドイツ軍はパリを始めとしたフランス北部を占領し、戦闘継続を訴えたポール・レノー首相は休戦派に屈し辞任、後継に前大戦の英雄であるフィリップ・ペタン元帥を指名した。
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