ひろしま忌紙人形に髪がない
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季 節 | 夏 |
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評 言 | 友人から東京多摩地区現代俳句協会発行の「多摩のあけぼの」が届いた。創立二十五周年の特集で、記念講演は寺井谷子現代俳句協会副会長の講話が掲載されていた。大会の投句総数は六百八十句で大会賞は<母の日や死ぬまで戦争未亡人 田邊佳津>や入選三十句等が発表されていた。その中の一句が<ひろしま忌紙人形に髪がない>で私はなぜかこの句から目を逸らすことができなくなってしまった。人形には命はないが、神霊の依り代として、また災厄や穢れを形代などに移して流す対象物にした歴史もある。紙人形について自由に想像し思い描くことができる。そしてこの句の人形に髪がないとの把握は私には衝撃的でこの一句が心に残った。 広島に原子爆弾が投下されたのは八月六日午前八時十五分のことであった。一瞬の出来事は、その後の長崎の原爆投下とともに、日本中が恐怖に戦いた。三十万人もの尊い命を瞬時に奪うその残虐性と理不尽な戦争への怒りは未だに消えることはない。戦後生まれの私が偉そうに戦争について語ることを恥じるのだが、小誌「あすか」ではかつて戦争の特集を組んだこともあり<彎曲(わんきょく)し火傷(かしょう)し爆心地のマラソン 兜太><魔の六日九日死者ら怯え立つ 鬼房>これらの句が脳裏を掠めた。そして広島の記念館で見た、あの人体模型の身震いするほどの恐ろしい記憶、皮膚がとろけ、髪が抜け落ちた人達が水を求める光景が鮮明に蘇った。 |
評 者 | |
備 考 |
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