清水貞徳(しみずさだのり 清水貞徳 1645?-1717)
清水(太右衛門)貞徳は、通称を豊吉といった。津軽藩に仕えて、津軽地方の測量に従事し、東奥州の地図を作成した人でもある。
彼は、金沢勘右衛門に西洋式測量術を学び、天和 2年(1682)師とともに江戸へ出て、津軽藩の勘定人として登用され、藩領である弘前一円の実測絵図を作成した。残された清水流規矩距術印可(師が熟達した弟子に与えたお墨付き)によれば、その測量術は、蘭人カスパルが樋口権右衛門に伝授し、金沢刑部左衛門、金沢清左衛門、金沢勘右衛門そして清水貞徳に伝えられたといわれる。
元禄元年(1688)には、江戸で塾を開き、これまでの規矩術を整理し清水流といわれる測量術として確立した。「規矩元法別伝」(1709)にある測量方法は、コンパス(デバイダー)、見盤、分度器、象限儀、間竿、間縄、水準器などの機器を使用し、直角は三、四、五の法を用いた小地域の地図作成技術である。すなわち、水平に置いた板の上に紙を置き、そこに直接、地形の縮図を写し取る、現在の平板測量に近い技術である。
著書には、オランダ流町見術の基本的な内容を備えた「図法三部集」(1686)、「規矩元法別伝」(1709)がある。これは、正確には清水貞徳の著書ではなく、門弟らが筆録・整理したものと思われる。最近、清水貞徳直筆として最古と思われる「元禄四年印可巻」及び「元禄六年印可巻」が発見され研究が進んでいる。
このように、江戸時代初期に一大流派をなした清水測量術は、樋口権右衛門から伝えられた技術内容を清水貞徳が集大成し、子弟に伝授したものである。その後弟子たちによって、清水の技術を伝える写本をベースとして一子相伝的に各地に広がり、その内容は幕末まで伝えられた。
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