渋江信夫(しぶえのぶお? 1845-1881)
渋江信夫は、地理測量と製図の技術者を養成する時習義塾教授であり、参謀局第5課、地図課員として地図作成にもあたった。そのときの、木村信卿課長らの清国への「地図売渡し事件」に関連し、拘引中の刑務所で自殺した。同じ事件に関わった木下孟寛の弟にあたる。
それだけではない。彼らの父酒井喜熈の五男が、すべて地図作りに関係している。長男吉郎は夭折したが、時習義塾塾頭として地図製図技術者を養成したのは次男の酒井喜雄、次いで陸軍参謀局と時習義塾にあった木下孟寛(木下家に養子、のち宗孟寛)、そして渋江信夫(渋江家に養子)、地図製作をした酒井捨彦(横山大観の父)、日本分国地図などを作製した酒井彪三である。
時習義塾開業願にある履歴によれば、安政4年より(兄)酒井喜雄より地理学、製図・測量学を学び、その後万延元年より水戸弘道館天文地理局で地理製図画学を修業、慶応2年には元開成所教授小林某に仏学?を、明治5年新治県(現茨城県新治郡)に勤務中には技術研究に励んだとある。
その後参謀局第5課(地図課)に出仕、明治10年木村信卿と116万分の1「大日本全図」を完成させた。

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