酒井喜雄(1833~1914)
水戸藩酒井喜熈の次男酒井喜雄が開いた時習義塾は、陸海測量による地図製作技術の立ち遅れを嘆いて水戸の製図技術を伝えようと開いたものである。同塾の開業願いにある教授陣には、福田治軒、渋江信夫、木下孟寛、竹林靖直、松浦宏といった陸軍参謀局職員の名が並ぶ。そして、酒井家の製図技術を学んだ塾生は、陸軍の製図技術者として送り出された。
また、酒井喜熈の五男はすべて地図作りに関係したことで知られる。長男吉郎は夭折したが、次男の酒井喜雄は時習義塾塾頭として地図製図技術者を養成し、次いで木下孟寛(木下家に養子、のち宗孟寛)は陸軍参謀局と時習義塾にあった。渋江信夫(渋江家に養子)もまた同じ陸軍参謀局と時習義塾に、酒井捨彦(横山大観の父)と酒井彪三は、日本分国地図などの地図作製にあたった。
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