この著作の背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 09:49 UTC 版)
「ドイツ・イデオロギー」の記事における「この著作の背景」の解説
当時、ドイツでは強権的なプロイセン政権が支配しており、革命運動は、フランスのように現実の政治経済闘争のスタイルとして現れることができなかった。そのため、「脳内革命」ともいうべき、哲学の分野で表現されることになった。これを準備したのが、ヘーゲル哲学である。そして、この学派の解体とともに、革命的な分子は「青年ヘーゲル派」(ヘーゲル左派)となり、聖書の「虚偽」を暴くなど、宗教に対する哲学的闘争を展開した。また、ルートヴィヒ・フォイエルバッハのように唯物論へ進む者も現れた。マルクスとエンゲルスも、この一派に一時期属した。 しかし、マルクスとエンゲルスは、こうした哲学における闘争では限界があることを感じ、やがてこの一派から離れて、現実の政治・経済の変革に進む共産主義思想へと変化した。青年ヘーゲル派を批判することを目指して、この著作の執筆に取り掛かった。主な批判の対象は、フォイエルバッハ、ブルーノ・バウアー、マックス・シュティルナーである。上記の構成はまさに、この三人の批判に向けられている。なお、「聖ブルーノ」「聖マックス」というように「聖」と冠されているのは、中世の宗教会議に擬して皮肉たっぷりに批判を行う意図からである。また、第二巻では、当時ドイツで広がっていた社会主義思想の一派「真正社会主義」の批判をも企図していた。 このように「観念における闘争が現実の闘争だと思い込んだ、転倒した意識」を揶揄して、マルクスとエンゲルスは、「イデオロギー」と呼んだ(マルクス主義ではその後、観念形態一般を「イデオロギー」と呼ぶようになったが、ここでの使用法とは区別されている)。
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