からだの風景を鷹が舞っているとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 趣味 > 現代俳句一覧 > からだの風景を鷹が舞っているの意味・解説 

からだの風景を鷹が舞っている

作 者
季 語
 
季 節
冬 
出 典
尋 
前 書
 
評 言
 川名つぎお氏とは、ダンディズム言葉引き連れて歩いているような俳句作家だと常々私は思っている。『寒月光どこ曲がっても妻がいる』『ゆく夏の身にいくつかの孤島あり』『おれという奇病のままに麦秋す』『五歳のぼくはまだ駅にいるのだろうか』など、自らを凝視しモチーフにした作品群は、どれもドラマチックだ
 掲句の「からだの風景」という措辞は、読み手には不思議な感覚だ。同時に、この一句は私の中で、ふと、ルネ・マグリット絵画絶対探求』を思い出させた。一枚木の葉一本の樹となって静寂な風景中に影のように立つその一枚の絵は、静かに「孤」を主張するマグリットは「私は、詩というものを、霊感得た思考描写することと同じものとみなしている。……霊感得た思考描写は、眼に見える詩の出現を可能とするのである。」と言った。「霊感得た」というのはちょっとオカルトチックな話だが、「言霊」ともいわれる言葉には、観念感覚感情表現する力があるのかも知れないマグリット目指し美術アート)は、それを見た感じた者に、今まで思いもしなかった想像力喚起させるものだ。しかしそこに描かれた、素材テーマ、キーワードは、いたってクールシンプルである。一句イメージさせる物(事)のクールさ、シンプルさは、川名つぎおの手法に似ている
 川名俳句世界には、自分の姿を合わせ鏡見た時の不可思議な世界パラレルワールド)がある。幾重にも連なる合わせ鏡世界、そこで垣間見てしまった異次元空間があるとすれば神秘呼び起こす配列自分内面連なっていても不思議はない。  
 川名俳句は常に自分の「孤」の内面深く探ろうとする。限りなく「孤」を主張しようとすると、それを覗き込んでいる自己他者の眼を得るのかもしれない。そこに一篇の詩(俳句)が生まれドラマ生まれる。自己の内面を「からだの風景」として見てしまった時、「舞っている」自分自身他ならない。しかし、その景はいたってシンプルクールであり、自己陶酔ベタ付きは全く感じられない。自らをモチーフしながら、あくまで自己突き放した句姿が、川名つぎお氏のダンディズムのである
 同じ出典より『がらんどうの頭に鷹の巣はあり』とあるが、「孤」の中に新しみを求めて止まない作者が、頭をがらんどうにして、いったい何処舞っているのか、何を見ようとしているのか、今後興味尽きない
 
評 者
備 考
 


このページでは「現代俳句データベース(俳句)」からからだの風景を鷹が舞っているを検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書からからだの風景を鷹が舞っているを検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書からからだの風景を鷹が舞っているを検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「からだの風景を鷹が舞っている」の関連用語

からだの風景を鷹が舞っているのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



からだの風景を鷹が舞っているのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
現代俳句協会現代俳句協会
Copyright(C) 現代俳句協会

©2024 GRAS Group, Inc.RSS