『迷路』の時代
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それまで単行本しか発行していなかった若木書房が雑誌「街」や「影」の成功に刺激され、1958年に雑誌『迷路』を創刊、11月の第1号に暗く荒いタッチの傑作『おばけ煙突』発表、つげによれば、「急に書けなくなったのは『おばけ煙突』を描いた頃から」「いま思うと何で『おばけ煙突』なんて描いちゃたのかなって。」「だから、この『おばけ煙突』で自分の何かが変化あったと思うんですよ。、、、『おばけ煙突』を描いて行き詰まっちゃったんですよね、」。この当時つげ自身も辰己ヨシヒロや松本正彦には惹かれていたというが、生来の短編作家でありながら長編作を余儀なくされてきたつげが気心の知れた若木で短編を描けることになり、それまでの漫画の常識へのこだわりが吹っ切れ描けるがままに描いてしまったが後が続かず、今までの常識的なマンガも描きたくなかったということだろう。1959年は若木書房の『迷路』にほぼ毎月短編を発表するのみで、下宿の主人に誘われて麻雀にかまけていたが、下宿の払いは楽で生活でき、執筆本数は少なかった。『痛快ブック』12月号には、『完全犯罪』という作品の次回予告が掲載されたが、タイトルを先に決められたことでストーリーが思い浮かばなかったことや、女性との同棲問題などがあり、締切日を過ぎ断るが「補償金を取られる場合がある」と脅され、それ以降締め切り恐怖症となり、その後どこの大手雑誌にも描かなくなる。『迷路』は12月の第14号で終わり、衣替えした『Meiro』の編集に関与、『古本と少女』や佳作『腹話術師』(1960年2月)を発表。白土三平がこの時代のつげを読み、評価していたことが、後の『ガロ』デビューにつながる。
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