『生きてみたい、もう一度』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 03:22 UTC 版)
「杉原美津子」の記事における「『生きてみたい、もう一度』」の解説
1983年、新宿西口バス放火事件に関する手記『生きてみたい、もう一度』を出版。1985年に『生きてみたいもう一度 新宿バス放火事件』のタイトルで映画化された(監督:恩地日出夫、主演:桃井かおり・犯人役:柄本明)。 杉原は事件時、異性関係の悩みから自殺願望を抱いており、放火された際に逃げるのを躊躇したため、全身80%火傷の重傷を負った。その後に回復し事件から約1年後に退院すると、自らの希望で東京拘置所へ留置されている被告人に接見を試みた。この時は被告人が面会室に現れなかったため、面会は叶わなかった。1981年7月末に退院すると、同年12月には獄中の加害者宛に「どうかもう一度生きてみてください。やり直しはできます」という手紙を送った。 被告人の無期懲役確定後に、杉原は受刑者の弁護人を務めていた弁護士・安田好弘と共に千葉刑務所を訪ね、1991年(平成3年)4月には受刑者と特別に面会を認められ、翌月(1991年5月)には「努力して早く出所できるように頑張ります」という手紙を受け取ったが、結果的にこれが加害者からの最後の手紙となった。 当時、被害者は被告人と接見することはできなかったが、この時は例外的に認められた。杉原は「もし受刑者が仮釈放されたら自分が身元引受人になろう」と考えていたが、これは実現しなかった。なお、2000年代に入ってからは「更生プログラム」として場合により被告人と被害者が接見することも可能となった。 また、杉原の兄である石井義治は報道写真のカメラマンであった。彼はバスが放火された時に偶然そばを通りがかっており、本能的に燃え上がるバスを撮影し、その写真は翌日の読売新聞の一面にスクープとして大々的に掲載された。映画本編では義治が撮影した事件直後の写真が提供されている。だが実妹がその事件で重傷を負う中、妹に救護の手を差し伸べていなかったことを知った彼は、そのショックで報道カメラマンを引退し、その後にペンネームを「イシイヨシハル」と改名して風景写真の分野へと転向した。
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