『林原めぐみのHeartful Station』との関係
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「林原めぐみのTokyo Boogie Night」の記事における「『林原めぐみのHeartful Station』との関係」の解説
『林原めぐみのHeartful Station』は本番組と同様にキングレコードが制作しており、同一会社による制作で同一のパーソナリティが担当するラジオ番組が2015年までの23年間、2つ放送される形となっていた。これは、1991年にHeartful Stationが、神奈川県域局であるアール・エフ・ラジオ日本でスタートしたものの、数カ月後に当時の同局の方針で打ち切りとなった。その後、兵庫県域局のラジオ関西に移して放送を再開し、翌1992年に関東広域圏における番組としてTBSラジオで本番組を開始した経緯があったためである。 両番組には、同時期に林原関連の情報の告知がされることや、同じゲストの登場、通算放送回数が100回を越えるごとに公開録音イベントを行うという共通点があった。しかし、林原のトークとラジオドラマで構成する番組として始まり、ラジオドラマの無くなった2000年以降はリスナーのお便りを読んで林原がトークを展開する時間が番組を占める本番組に対して、Heartful Stationではテーマが定められた多数のコーナーがあるほか、アシスタント(保志総一朗)やコーナーパーソナリティ(セガ社員の竹崎忠)が出演するため、番組の雰囲気はある程度差別化されていた。 全国的に見ると両番組が互いに放送エリアを補完するような関係になっていた。また、中京・京阪神・福岡県のように放送エリア内の複数局で両番組を放送している一方で、北海道・岩手県のように同一局が両番組を放送している場合もあった。なお、関東では1997年4月11日から1998年9月にかけて、前述の『金曜UP'S』(TBSラジオ、北海道放送、RKB毎日放送、琉球放送)でHeartful Stationを放送していたことがあった。『UP'S』枠の終了後もTBSラジオ以外の3局は放送時間帯を変更してHeartful Stationの番組ネットを続けていた。 その『Heartful Station』も2015年3月28日(幹事局であるラジオ関西の場合)をもって放送終了。ラジオ関西では『Heartful Station』終了に伴う補完の目的で、翌週から本番組のネットを開始した。
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