『大地の歌』の詩についてとは? わかりやすく解説

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『大地の歌』の詩について

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 13:36 UTC 版)

大地の歌」の記事における「『大地の歌』の詩について」の解説

マーラー歌詞採用したのは、ハンス・ベートゲ編訳による詩集中国の笛-中国叙情詩による模倣作』である。ベートゲ中国語解さず、『中国の笛』は、既出版の『中国叙情詩』(ハンス・ハイルマン)、『唐詩』(エルヴェ・ド・サン=ドニ侯爵)、『玉書』(ジュディット・ゴーティエ)からの翻訳サン=ドニゴーティエ詩集フランス語)あるいは自由な模倣によっている。このため原詩にほぼ忠実なものや自由な模作となっているものが混在しており、元となった唐詩については特定できていないものもある。 19世紀末から20世紀初頭にかけて、マーラー周囲ではウィーン分離派ミュンヘンでのユーゲント・シュティールなど、感情感覚結合した時代様式が盛んであり、これはドイツ・オーストリアとどまらないヨーロッパ風潮でもあった。この時代には文学絵画含めた芸術分野で「死」をテーマとした作品数多く生み出されており、同時にエキゾチズムとりわけ日本含めた東洋への関心高まっていた。ベートゲの『中国の笛』は、このような時代所産であり、マーラーの『大地の歌』もまたこの系列含めることができる。したがって、『大地の歌』には先に述べたように、無常観厭世観別離気分漂っているとしても、このことで、マーラー自身東洋的諦観達していたとは必ずしもいえないしかしながら人間死んで地上からいなくなるが、大地永遠に繰り返して花を咲かせ、緑に覆われるというイメージについて、マーラー10歳代のころから手紙でこのことに触れている。第6楽章で、「永遠大地」を強調する歌詞追加したのもマーラー自身である。アルトゥル・ショーペンハウアーフリードリヒ・ニーチェ著作読んでいたマーラーが、唐詩編訳接して、これに自身イメージと体験を重ね合わせていたことは間違いない

※この「『大地の歌』の詩について」の解説は、「大地の歌」の解説の一部です。
「『大地の歌』の詩について」を含む「大地の歌」の記事については、「大地の歌」の概要を参照ください。

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