『大地の歌』の詩について
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「大地の歌」の記事における「『大地の歌』の詩について」の解説
マーラーが歌詞に採用したのは、ハンス・ベートゲ編訳による詩集『中国の笛-中国の叙情詩による模倣作』である。ベートゲは中国語を解さず、『中国の笛』は、既出版の『中国の叙情詩』(ハンス・ハイルマン)、『唐詩』(エルヴェ・ド・サン=ドニ侯爵)、『玉書』(ジュディット・ゴーティエ)からの翻訳(サン=ドニとゴーティエの詩集はフランス語)あるいは自由な模倣によっている。このため、原詩にほぼ忠実なものや自由な模作となっているものが混在しており、元となった唐詩については特定できていないものもある。 19世紀末から20世紀初頭にかけて、マーラーの周囲ではウィーン分離派やミュンヘンでのユーゲント・シュティールなど、感情と感覚が結合した時代様式が盛んであり、これはドイツ・オーストリアにとどまらない、ヨーロッパの風潮でもあった。この時代には文学、絵画を含めた芸術分野で「死」をテーマとした作品が数多く生み出されており、同時に、エキゾチズム、とりわけ日本を含めた東洋への関心も高まっていた。ベートゲの『中国の笛』は、このような時代の所産であり、マーラーの『大地の歌』もまたこの系列に含めることができる。したがって、『大地の歌』には先に述べたように、無常観、厭世観、別離の気分が漂っているとしても、このことで、マーラー自身が東洋的諦観に達していたとは必ずしもいえない。 しかしながら、人間は死んで地上からいなくなるが、大地は永遠に繰り返して花を咲かせ、緑に覆われるというイメージについて、マーラーは10歳代のころから手紙でこのことに触れている。第6楽章で、「永遠の大地」を強調する歌詞を追加したのもマーラー自身である。アルトゥル・ショーペンハウアーやフリードリヒ・ニーチェの著作を読んでいたマーラーが、唐詩の編訳に接して、これに自身のイメージと体験を重ね合わせていたことは間違いない。
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