『大地の歌』の作曲
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『大地の歌』は渡米後の1908年の夏、休暇先のアルト・シュルーダーバッハで作曲された。作曲のきっかけは、マーラーの友人テオバルト・ポッラクからハンス・ベートゲが編んだ詩集『中国の笛』(Die chinesische Flöte)を贈ってもらったこととされる。 作曲は、オーケストラ稿とピアノ稿(後述)が並行して進められている。最終的にはオーケストラ稿の仕上げを手がけているが、これまでの自作のように、マーラー自らが初演を経て手を入れることができなかった。オーケストラ稿およびピアノ稿自筆譜の日付から作曲順をたどると以下のようになる。1908年7月 - 第2楽章(ピアノ稿) 1908年8月1日 - 第3楽章(オーケストラ稿) 1908年8月14日 - 第1楽章(オーケストラ稿) 1908年8月21日 - 第4楽章(ピアノ稿) 1908年9月4日 - 第6楽章(オーケストラ稿) 第5楽章については日付が書かれていないが、この曲が最後に作曲されたと考えられている。 アルマの回想を始めとして、前年1907年の夏に第1楽章に着手したという説があるが、先述のように『中国の笛』は1907年10月の出版であり、それ以前にマーラーが目にした可能性は低い。1907年着手説には、同年夏にマーラーの長女の死、マーラー自身の心臓病、さらに歌劇場辞任と事件が重なったことを『大地の歌』作曲の動機に直接結びつける意図があると考えられる。
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