『大地の子』と胡耀邦
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ベストセラー『大地の子』の著者の山崎豊子は、胡と親交があった。執筆の際の中国での取材にあたり全面的な協力を得たほか、3度も中南海の公邸に招かれた。山崎の著書『「大地の子」と私』によると、最初の招待は1984年11月29日である。当時の中江要介駐中国日本大使も同席した。2回目の招待は1985年12月8日で、党中央書記処のある勤政殿で行われた。3回目は1986年10月2日で、このときも勤政殿である。このとき胡は、山崎に「今度はもうお会いすることはないでしょう」と早くも、自らの運命を予告するような発言を行っている。胡が総書記の地位を追われる3カ月前である。
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