『多門伝八郎筆記』における逸話とは? わかりやすく解説

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『多門伝八郎筆記』における逸話

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 04:50 UTC 版)

忠臣蔵」の記事における「『多門伝八郎筆記』における逸話」の解説

浅野内匠頭切腹立ち会った多門伝八郎は、その時の事を記した多門伝八郎筆記』を残しており、そこに書かれ逸話忠臣蔵ドラマ等で描かれる事も多い。以下、『多門伝八郎筆記』に記載され逸話紹介するが、この筆記は他の資料との比較により、創作多分に含まれている事が判明しているので、以下の逸話信憑性不明である。 (多門浅野慰める)多門浅野殿中刃傷およんだ理由聞いてみたところ浅野は「私の遺恨」ゆえに刃傷およんだものの、吉良に負わせた傷が浅手だったのが残念だ答えた。そこで多門武士の情けで「相手高齢だから養生おぼつかないだろう」と慰めた所、浅野喜んだ表情見せた。 (多門幕府の裁定抗議柳沢吉保指示により浅野即日切腹吉良無罪放免決まった。これに憤慨した多門裁定は「片落ち」である旨を抗議したところ、多門柳沢怒りを買い、目付部屋軟禁された。 (多門庭先での切腹抗議浅野切腹所を庭先白洲にて行うよう庄田下総守指示したものの、これに不満を持った多門は「庭先での切腹など一城の主にはあるまじき事」だという趣旨抗議をし、立腹した庄田掴み合いなりかけた。 (多門片岡五右衛門今生の別れ許可浅野切腹直前赤穂藩士の片岡五右衛門今生の別れをするために会いに来た。多門は「明日退役覚悟いたし」て片岡浅野会わせた。しかしこの逸話信憑性疑わしく切腹行った田村家記録にはそのような事は記載されていないうえ、『助手控』にはその期間は誰も立ち入りさせないよう厳命があったと記載されている。さらに赤穂側の資料にもこの件は記載されていない切腹翌日にあたる3月15日片岡五右衛門多門訪ねて上記件の礼を言い同年11月23日にも城内の「中の口」で多門会って「もはや二君交えず、この春から町人になる」という趣旨の事を言った。しかし一塊浪人にすぎない片岡中の口に入るつてはない。 (浅野内匠頭辞世の句浅野切腹に際して辞世の句詠みその内容は「風さそふ花よりもなほ我はまた春の名残りをいかにとか(や)せん」というものであった。この逸話田村邸の記録赤穂藩記録になく、信憑性疑わしい。 (浅野本家抗議3月15日広島藩浅野本家松平安芸守切腹の場所が不当であると松平陸奥守田村右京大夫厳重に抗議した。この逸話は『冷光君御伝記』にすら記録がなく、信憑性疑わしい。 なおドラマ等では、上述した片岡五右衛門エピソードに関して浅野内匠頭と口をきかない事を条件として片岡浅野会わせるものも多い。

※この「『多門伝八郎筆記』における逸話」の解説は、「忠臣蔵」の解説の一部です。
「『多門伝八郎筆記』における逸話」を含む「忠臣蔵」の記事については、「忠臣蔵」の概要を参照ください。

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