『マイマイ新子と千年の魔法』から『この世界の片隅に』へとは? わかりやすく解説

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『マイマイ新子と千年の魔法』から『この世界の片隅に』へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 22:07 UTC 版)

マイマイ新子と千年の魔法」の記事における「『マイマイ新子と千年の魔法』から『この世界の片隅に』へ」の解説

主人公新子の母親の長子29歳舞台は、昭和30年代山口県防府市。片渕監督は、そこからわずか10年遡れば、戦争中で、長子子供新子)を身ごもる中で大変であっただろうと考えていた。その頃映画資料協力してもらった防府市関係者イベント一緒になった際、その人持っていた『夕凪の街 桜の国』のクリアファイルきっかけで、こうの史代『この世界の片隅に』を知ることとなった舞台広島山口から地続きの隣の県で10年しか差がなく、長子すずは一歳違いキャラ似ている読み始めて、すぐに引き込まれ、生活のディテール表現する点など自身と同じ作品への姿勢共通するところを感じアニメ化決意する企画は、細田守才能見出し『時をかける少女』アニメ化細田持ちかけて実現させ、渡辺信一郎の『坂道のアポロン』や、今敏劇場作品いくつも手がけた、丸山正雄が両作品とも務めた当初丸山本作テレビアニメ化考えていたが、2010年10月舞台となった防府市で『マイマイ新子と千年の魔法』の野外上映会が開催され地元だけでなく全国から1,000人あまりの人が集まった。まるで「村祭り」のようにスクリーン集った熱心な人たちを見て丸山テレビアニメよりもハードルのずっと高い劇場アニメ化企画決断した。そして、版権元の双葉社映像化許可求めて連絡するが、既にテレビドラマ化の決定下されていた。しかし、双葉社担当は『マイマイ新子と千年の魔法』の監督であると知ると、それならばと、ドラマ化とは分けて考えることにして、アニメ化については「是非」こちらへ預けたい、と社内調整してくれたという。 丸山映画制作成立させるべく多く会社交渉をしていったが、遅々として進まなかった。困った丸山は、2013年1月頃、多くアニメ作品手がける真木太郎参加依頼し真木前作マイマイ新子と千年の魔法』のDVDを観た。驚愕し尋常でない感動をした真木は、苦労背負い込むことになってプロデューサー引き受ける、と決意固めたという。 しかし、配給打診進展せず真木クラウドファンディング試みることになった。このアニメファンタジー魔法ロボットのようなアニメらしい特徴がないが、ファンとなった人たちは、片渕監督押し上げたいという匂い感じてくれ、クラウドファンディング支援してくれたという。クラウドファンディング目標大きく上回り、ほぼ倍の3900万円記録し東京テアトル配給会社とする製作委員会組織でき、映画『この世界の片隅に』は、ついに公開向けて進むことができるようになった

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