「道路の巨人」
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「トーマス・テルフォード」の記事における「「道路の巨人」」の解説
晩年にテルフォードはロンドンからホリーヘッドをつなぐワトリング街道の一部を再建するプロジェクトの責任者となり、この仕事は10年間テルフォードのアシスタントをつとめていたジョン・ベンジャミン・マクニールが完成することとなった。今日、この道路のほとんどはA5幹線道路上にあるが、ホリーヘッド・ロードは現在A45、A41、A464の部分になっているところに沿ってA5から分岐し、コヴェントリー、バーミンガム、ウルヴァーハンプトンの町を通る。ロンドンとシュルーズベリーの間では結局工事のほとんどは改修ですんだ。シュルーズベリーより北西、とくにスランゴスレン以北では、しばしば何もないところから幹線道路を作らねばならなかった。このルート上の目立った業績としては、ベトゥース=イ=コイドでコンウィ川を渡るウォータールー橋、ここからカーペル・キーリグへの上り坂、ナント・フランコン・パスからバンガーに向かう下り坂がある。カーペル・キーリグとベセスダの間、オグウェン渓谷で、テルフォードはローマ人がこの地域を占領した時に作ったもともとの道から逸れるように道路を通した。 アングルシー島からはスタンリー・サンズを渡ってホリーヘッドへ通じるスタンリー・エンバンクメントが建設されたが、メナイ海峡の架橋が最も手間のかかる大胆なプロジェクトであり、これは1819年から1826年にかけて作られたメナイ吊橋によって実現された。580フィート (180 m)もあり、建設当時としては最長の吊橋であった。現代の吊橋と異なり、テルフォードはケーブル部分にひとつひとつつなげた鉄のアイバーを使用した。 テルフォードは北部ウェールズでもチェスターとバンガーをつなぐ海岸道路建設を行い、コンウィでも大規模な吊橋を建設した。コンウィ吊橋は1826年、メナイ吊橋より少し後に開通した。 さらに北で、テルフォードはスコットランドのアラン島の中心を通る道路を設計した。「ストリング・ロード」と命名され、このルートのおかげで通行者は遠回りになる海岸の道路を避け、荒涼として通行しにくい土地が続くアラン島の東西を行き来できるようになった。テルフォードはグラスゴーからカーライルへ行く道路(後にA74になる)を改修したが、この工事は「将来の土木技師の見本」と言われた。 テルフォードは厚みに基づく石の選定を改善し、交通量を考慮し、配列や傾斜にも注意することで、マカダム道路の敷設方法を改善した。 ロドス島の巨像(Colossus of Rhodes)と語呂合わせした「道路の巨人」(Colossus of Roads)というあだ名は、テルフォードの友人でやがて桂冠詩人になるロバート・サウジーがつけたものである。 1821年にテルフォードはスウェーデン王立科学アカデミーの海外会員に選ばれた。
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