「進取の気性」旺盛な重豪が創設した藩学造士館
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「鹿児島大学」の記事における「「進取の気性」旺盛な重豪が創設した藩学造士館」の解説
本学の起源は、江戸時代に島津家25代島津重豪(薩摩藩の第8代藩主)が創始した「藩学造士館」にさかのぼる。 重豪は「蘭癖(らんぺき)」といわれるほど西洋の文化に強い関心を示し、中国語も堪能で「英邁闊達にして進取の気性も旺盛」(島津修久『島津歴代略記』)であった。暦学の研究や天体観測を行う明時館天文館)の創設や、農学百科全書『成形図説』をはじめとする各種書籍の編纂・出版といった文化事業にも積極的で、薩摩藩における文化発展の礎を築いた。 1773(安永2)年、重豪は教育を通じて藩に有益な人材を育てることを目的に、文武修養のための聖堂と武芸稽古場を創設した。江戸の昌平黌をモデルにした大規模なもので、これらは現在の鹿児島市中央公園あたりにあったとされる。 1786(天明6)年には聖堂を「造士館」、武芸稽古場を「演武館」と改名。講義は儒学を中心とし、組頭や城下士、外城士が聴講したほか、学問の志があれば家来や町人、城下士の子どもなども末席か別室での聴講が許された。
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