「貧困ビジネス」という概念の必要性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 19:21 UTC 版)
「貧困ビジネス」の記事における「「貧困ビジネス」という概念の必要性」の解説
湯浅によると、次の理由からこのようなビジネスを個別に論じるのではなく「貧困ビジネス」として括ることが必要であるとされる。 貧困ビジネスは、貧困層の拡大という日本社会全体の現状に対応し伸長するビジネスモデルである。 貧困ビジネスは、日本社会における「貧困の再発見」の反照として、再発見される。 実態がそうであったとしても、名指しされない限り、それらのビジネスモデルは「貧困ビジネス」としては形象化されない。つまり、貧困が存在し拡大してきたにもかかわらず、「貧困」と名指しされない限り、社会一般に認識されなかったことと正確に対応している。 そのことは、貧困が各種アイデンティティにまたがる問題として見出されたように、貧困ビジネスが金融・労働・住居といった分野を越えた問題であるとの認識を可能とする。 貧困ビジネスは常に、「殺し文句」としての次のような論理展開を活用する点において、実際に共通している。 (A)当該ビジネスの存在を否定すればさらに酷い事態が生じる。 (B)選び取っている以上は本人の自己責任である。 (A)ではそれ以外の選択肢がない存在を想定しつつ、(B)では「選択の自由」の存在を仮構する点で両者は矛盾するが、状況に応じて便宜的に使い分けられる。 貧困ビジネスという問題設定は、単なる当該ビジネスモデルの枠を超えて、行政責任の欠如、本来的な保障ラインの崩壊を焦点化させる。 本来的な保障ラインが崩壊していることが、貧困ビジネスを正当化し、あたかもビジネスを通じた社会貢献であるかのような装いを可能にさせる。貧困ビジネスは、ゼロより「一」がマシという理屈に立脚しているが、本来保障されるべきは「二」であり「三」であり「五」であって、またそれが保障されていれば、誰も貧困ビジネスなど利用しない。 貧困ビジネスは、公共部門からの行政の撤退あるいは元々の不在をその糧として成長しているが、それが貧困ビジネスも社会的に容認されるべきという理由にはならない。なぜなら、本来保障されるべき人間の生存権(居住の権利や労働者の権利など)は、「貧困ビジネス」の理屈で正当化されるレベルにはなく、より高いレベルにあるものだからだ。そういう意味でも、貧困ビジネスは、規制緩和を進める政府と明確な共犯関係にある。
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