「萌え」の統語論・形態論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 04:22 UTC 版)
「萌え」は本来は動詞の語幹であったが、俗語としては用法が拡張し、名詞としても普通に用いられるようになっている。また、感動詞としての用法もある。形容動詞の語幹として用いられることも珍しくない。 「萌え」を動詞として使う場合、活用はア行下一段活用となり、元来の日本語に存在する「萌える」(「芽生える」の意)という動詞と同一となるが、芽生えるの意の「萌える」は自動詞であり、他動詞的用法で使用されることは皆無だと言える。 動詞「萌える」の意味は、文脈によって微妙に変化する。以下の例文において、「A」を「私・私達・彼」などの人称(主体)、「B」をその対象(客体)とする場合、以下のような形で表現される。 「AはBに萌える」の場合「AはBに萌えを感じる」という、「“萌える”という感情」を指した他動詞に近い使われ方になるが、他動詞では対象に対する能動的な表現(例:「AはBを萌やす」)になり、文法的にも不自然になるため、ほぼ全ての場合において、対象に対する受動的な表現となる自動詞的用法で使用されている。 「Bは(Aにとって)萌える」の場合「Bは萌えを感じさせる」という、「萌える対象」を指した自動詞的用法となる。 ただし、特定の客体(「何に萌えるのか?」という目的語)や主体(「誰にとって萌えるのか?」という修飾語)を明らかにしない用法も多く、「萌える」という概念自体を自立化したものとして扱う傾向も見られる。これは、「泣く/泣ける」や「笑う/笑える」などの情動を表す動詞が、目的語や修飾語の有無を問わないことに類似する。 さらに、日本語の常として主語を明示しないことが多く、他動詞と自動詞の区別を曖昧にしたまま用いるケースも多い。書籍タイトルなど(『もえたん』など)で多用される「萌える」は、特にそうした用例の一つである。
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