「萩の舎」に入門とは? わかりやすく解説

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「萩の舎」に入門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 04:21 UTC 版)

樋口一葉」の記事における「「萩の舎」に入門」の解説

一方、父・則義は向学心やまない娘のため、知人和田重雄の下で和歌習わせた。1886年明治19年)、父の旧幕時代知人である医師遠田澄庵紹介で、中島歌子歌塾「萩の舎」(はぎのや)に入門。ここでは和歌のほか千蔭流の書や王朝文学講読学んだ萩の舎当時公家・旧大名などの旧体制名家明治政府政治家・軍人夫人令嬢らが通い門人千人超える歌塾だった。士族とはいえ下級役人の娘だった一葉平民伊東夏子田中の子仲良くなり「平民三人組」と称した入門翌年二月行われる新春恒例発会近づくと、令嬢たち晴れ着話題など、着物の話はとても下級官吏の娘が競え内容ではなかった。一葉気おくれしながらも親が借りてきた古着出席した。この発会歌会一葉最高点取っている。 名家令嬢であった田辺花圃本名龍子)は『思い出人々』という自伝の中で、「萩の舎」の月例会で、友人床の間の前で寿司配膳待ちながら「清風徐ろに吹来つて水波起らず」という『赤壁賦』の一節読み上げていたら、給仕をしていた猫背の女が「酒を挙げて客に属し明月の詩を誦し窈窕の章を歌ふ」と口ずさんだのに気付いて、「なんだ、生意気な女」と思っていたら、それが一葉で、先生から「特別に目をかけてあげてほしい」と言われ紹介されたと、初め一葉会ったときのエピソード紹介し一葉女中内弟子兼ねた働く人のようだったと書いている(このとき一葉15歳花圃18歳。のちに2人萩の舎二才媛と呼ばれた)。このように入門当初才気煥発ところを見せていた一葉だったが、周囲との格差から次第内向的になり「ものつつみの君」と呼ばれるようになった

※この「「萩の舎」に入門」の解説は、「樋口一葉」の解説の一部です。
「「萩の舎」に入門」を含む「樋口一葉」の記事については、「樋口一葉」の概要を参照ください。

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