「第一富士」脱線事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 23:16 UTC 版)
「日本の鉄道事故 (1950年から1999年)」の記事における「「第一富士」脱線事故」の解説
1964年(昭和39年)4月24日 10時7分ごろ 東海道本線草薙 - 静岡間の現在の東静岡駅付近(当時、東静岡駅は未開業)を走行中の東京発宇野行き下り特急「第一富士」が、踏切内のダンプカーと激突し、先頭から6両目までが脱線した。この事故ではダンプカーの運転手が死亡し、先頭車両は大破した。また脱線した車両の多くは数多くの著名人が乗車する1等車であったことから在日イラク代理大使ら10名が重軽傷を負った。 この事故で先頭に組成されていたクロ151-7が廃車となったが、これは国鉄新性能電車の廃車第1号でもある。被災した151系電車は同年10月1日の東海道新幹線開業に伴い、九州乗り入れ改造をはじめとする転用計画に着手しており、代替車両を新造する猶予もなく、さらに予備車も皆無に近い深刻な車両不足状態となった。このため本来は急行列車用の153系電車を急遽特急「こだま」に充当したほか、廃車代替として急遽サロ150-3を先頭車化改造して対応した。 クロ151-7脱線大破事故も参照のこと
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