「第一夫人(ファーストレディ)」として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/16 03:33 UTC 版)
「彭麗媛」の記事における「「第一夫人(ファーストレディ)」として」の解説
2013年以降彭麗媛夫人が、公の場で歌うことはなくなったとされる。中国共産党のある幹部は「第一夫人が舞台に立つのはふさわしくない」と朝日新聞の取材に対して言い切った。中国共産党の歴史上、派手に振舞った第一夫人として有名なのは、劉少奇元国家主席の妻であった王光美夫人である。王光美夫人は、劉氏の失脚で批判され、過去のインドネシア訪問の際にルビーの首飾りを贈られたことなどが罪状に挙げられ、投獄された。1949年の中華人民共和国建国式典の際も、王光美夫人は毛沢東共産党主席らとともに天安門の壇上にたち、反感を持たれたという。そのため彭麗媛夫人は、2015年9月の「抗日戦争勝利70周年」式典では、習総書記とともに天安門の下で、各国首脳を出迎えたが、壇上には立たなかった。 2014年11月10日、アジア太平洋経済協力会議の関連行事として開かれた夜の花火鑑賞でウラジーミル・プーチンが肩にショールをかける、彭麗媛は好意に笑顔で応えたが、すぐにショールを取って側近に渡している、この映像とキャスターのコメントは「新浪微博」などを通じて瞬く間に広まった、ところが翌朝までには、検索してもコメントはほとんど表示されなくなり、リンクもつながらなくなった。 2011年6月3日、世界保健機構の結核とHIV・エイズ対策の親善大使に任命された。
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