「特殊な部落」発言糾弾事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 15:53 UTC 版)
「淀川長治」の記事における「「特殊な部落」発言糾弾事件」の解説
1973年9月5日(東京では9月4日付夕刊)、サンケイ新聞の夕刊シリーズ企画「こんにちは」に、淀川長治のインタビュー記事(聞き手・兼子昭一郎)が掲載された。この記事で淀川が 映画のどこがいいって、あの庶民性が一番いいですねえ。ソバ屋も大学の先生も同じように泣いたり笑ったりするんですからねえ。庶民性がわたしにぴったりなのねえ。はい、芸術性の高い映画はあんまり好きになれませんよ。 と述べた後、兼子の聞き書きとして こどものころ、家の近くに貧乏人の部落があった。学校の行き帰りの途中に位置していた。両親はそこを通らずにすむように、電車の定期を買って与えたが、一度もそれを使わなかった。それだけではない。その特殊な部落にある銭湯にはいったこともあった。 とあり、続いて淀川が そのときわたし、この貧しい人たちと液体で結ばれたと思ったのにねえ、エリートってだめですねえ。 と述べた。 インタビューの内容は差別に反対する立場で貫かれていたにもかかわらず、部分的に不用意な発言が部落解放同盟から問題視され、1973年秋から1974年初頭にかけて3回の糾弾会がおこなわれた。 1973年12月14日の第2回糾弾会には、部落解放同盟大阪府連合会の副委員長の西岡智や書記次長の山中多美男ら約100名が出席し、淀川やサンケイ新聞編集局長の青木彰たちを吊し上げた。 淀川は「私は神戸出身で差別の問題はよくわかっているつもりだった」「私が16歳ごろ、隣の奥さんが差別を受けたのを知っている」と弁解したが、部落解放同盟は「ヒューマニズムの観点から部落問題をみるから、今度のような同情・融和の思想が出てくるのだ。あなたのヒューマニズムは単なる"あわれみ"だけであって、なぜ差別があるのかを根本から追及していない。まさにエセのヒューマニズムだ」「あんたのヒューマニズムは矛盾を追及しないエセの平等思想だ」と反発している。 部落解放同盟は淀川に対し第3回の糾弾会で、 この差別事件の分析と責任と今後の決意を表明すること 部落解放同盟大阪府連合会の西岡智らが製作した映画『狭山の黒い雨』を部落問題の観点から批評すること これまでの一連の差別評論を明らかにし、分析すること を要求し、淀川も了承した。 サンケイ新聞もまた社内啓発を要求され、その後、1974年暮に差別問題をテーマにした連載記事を掲載している。 「部落問題」も参照
※この「「特殊な部落」発言糾弾事件」の解説は、「淀川長治」の解説の一部です。
「「特殊な部落」発言糾弾事件」を含む「淀川長治」の記事については、「淀川長治」の概要を参照ください。
- 「特殊な部落」発言糾弾事件のページへのリンク