「瀬戸内海」という概念の誕生とは? わかりやすく解説

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「瀬戸内海」という概念の誕生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 01:17 UTC 版)

瀬戸内海」の記事における「「瀬戸内海」という概念の誕生」の解説

瀬戸内海という概念誕生したのは、江戸時代後期とされるそれまで和泉灘播磨灘備後灘安芸灘など、より狭い海域概念連なっているのみで、現在の瀬戸内海全域を一体のものとして捉える視点存在していなかった。とはいうものの江戸時代の「瀬戸内」は現在でいう「瀬戸内海」とは必ずしも重なっていない。1813年書かれ佐渡廻船商人旅行記海陸道順達日記』では尾道下関の間を「瀬戸内」と呼んでいる。 「瀬戸内海概念今日のようなものとして確立される契機となったのは、明治期欧米人がこの海域をThe Inland Sea呼んだことによる欧米人このように呼んだ海域日本人地理学者たちが1872年頃から「瀬戸内海」と訳して呼び、これが明治時代後半広まっていったのである(ただしこの時期の「瀬戸内海」は明石海峡から関門海峡までの海域指していることが多く現在のようなより広い海域に「瀬戸内海」の概念拡張されるには、さらに時間要した)。 日本人による最初まとまった論考小西和の『瀬戸内海論』(1911年)である。本論の中で、小西瀬戸内海一つ大きなテーマとして捉えることの必要性指摘するとともに瀬戸内海の多島美を積極的に評価したまた、小西は「国立公園」を日本作ることの必要性併せて指摘し、後に帝国議会国立公園設置建議した。この建議を容れて国立公園法制定されたのは1931年で、1934年3月16日第1回指定瀬戸内海雲仙(現・雲仙天草国立公園)、霧島(現・霧島錦江湾国立公園とともに日本初国立公園瀬戸内海国立公園となった

※この「「瀬戸内海」という概念の誕生」の解説は、「瀬戸内海」の解説の一部です。
「「瀬戸内海」という概念の誕生」を含む「瀬戸内海」の記事については、「瀬戸内海」の概要を参照ください。

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