「御国の御民」論と「みよさし」の論理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 01:11 UTC 版)
「平田篤胤」の記事における「「御国の御民」論と「みよさし」の論理」の解説
篤胤の復古神道と、それと結合した「古道の学問」は、一方ではスメラミコトやアキツミカミが高く位置づけながらも、もう一方では日本を成り立たせている一人ひとりを、身分を超越したかたちで「御国の御民」と呼び、主体性をになうものとしてとらえられている。「この平篤胤も神の御末胤(みすえ)にさむろう」「賤(しず)の男(お)我々に至るまでも神の御末に相違なし」と篤胤自身が述べているように、一神教における神と人間の隔絶した関係とは異なる、神と人との親和的なありかたが示されている。厳然とした身分制が存在する幕藩体制下にあって、平田国学では天皇との関係で自らを位置づけ、「何々国の御民某」というかたちで表記している。日本を構成する66州がその国の御民から成り、御民によって支えられていることが示されているのである。ここに地域主義的なゆるやかな横のつながりのなかから日本人としての国民意識が生まれてくる芽があった。 一方、現実には神孫たる天皇と将軍を頂点とする支配体制とをいかに整合していくかが求められるが、これについては、「みよさし(委任)」の論理が用いられた。これは「御国の御民」論と結びつくことによって、きわめて一般的な政治論理へと成長してゆく。村落指導者たちは、依然として被支配階級の側にありながら、天皇や幕府・藩から政治を委任された存在としてみずからを規定し、幽冥論によって得られた内面的な安心を拠りどころとして、荒村状況と称される近世後期の村落共同体の崩壊に立ち向かっていく強い実践性が付与される。この論理は、一方では村役人として自己の行政下におく一般民衆・百姓に抗議秩序を具体的に説明する際に利用し、他方では、それぞれに割り当てられた職分を遂行できない上層に対する義憤・公憤を噴き出させる武器となった。しかも、自らの行動全体が幽冥界すなわち郷土の先人や父祖から見守られているとした。 篤胤の論理は、村落指導者に対し、強い自覚と責任を呼び覚ますものだったのである。
※この「「御国の御民」論と「みよさし」の論理」の解説は、「平田篤胤」の解説の一部です。
「「御国の御民」論と「みよさし」の論理」を含む「平田篤胤」の記事については、「平田篤胤」の概要を参照ください。
- 「御国の御民」論と「みよさし」の論理のページへのリンク