「御囲堤」の構築と用水の開削
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 17:09 UTC 版)
「宮田用水」の記事における「「御囲堤」の構築と用水の開削」の解説
1608年に徳川家康の命によって、木曽川を利用した木曽ヒノキの輸送を確保と大阪の旧豊臣勢からの防衛を目的として、犬山から弥富に至る木曽川左岸に約47kmにわたる連続堤御囲堤(おかこいつつみ)が完成。これに伴い、木曽川から濃尾平野に流れていた支流を全て塞き止めることになり、一帯の農地は水源を失うことになった。 そこで、木曽川本流から直接取水することになり、1610年(慶長15年)に葉栗郡大野村(現在の一宮市浅井町大野)と般若村(現在の江南市般若町)の2箇所に取水用水門が完成。ここから大江用水、新般若用水への導水路が築かれた。これらの用水は尾張藩直営となり、郡奉行(=代官)より地位が高い水奉行という役職を設置すると共に、農民に「井組」と呼ばれる管理組織を作らせて実際に運用に当たらせた。
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