「四十八体仏」とは
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/08 09:21 UTC 版)
「四十八体仏」と総称される金銅仏群の実数は49件57体である。これらの金銅仏群は、奈良県斑鳩町の法隆寺に伝来したものであるが、1878年(明治11年)、他の法隆寺伝来の宝物類とともに、当時の皇室に献納され、東京上野の帝国博物館(東京国立博物館の前身)に保管されてきたものである。四十八体仏を含む300余件の宝物類が法隆寺から皇室に献納された背景には、当時の日本の仏教寺院の経済的疲弊があった。日本においては、江戸幕府崩壊後の1868年(明治元年)、いわゆる神仏分離令が発布されて仏教と神道の混淆が禁止され、廃仏毀釈と呼ばれる仏教排斥運動が起きた。この結果、多くの仏教寺院が破却され、多くの仏像や寺宝が巷間に流出・散逸した。この時期、聖徳太子ゆかりの寺院である法隆寺も寺領を失って経済的に困窮し、傷んだ堂塔の修理も思うにまかせない状態であった。そうした中、法隆寺では、当時の住職であった千早定朝の苦渋の決断により、宝物類300余件を皇室に献納し、それによって得られる下賜金によって堂塔の修理と寺の存続を図ろうとしたものである。こうして、前述のように300余件の宝物が1878年(明治11年)、当時の皇室に献納された。四十八体仏もこの時に法隆寺から皇室に献納された宝物の一部であった。四十八体仏の作風は多様であるが、形式化・類型化した像や技量の劣る作品が含まれず、全体に水準の高い金銅仏のコレクションである点が評価されている。
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