「北東北3県」の枠組みの崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/05 16:22 UTC 版)
「東北地方の経済史」の記事における「「北東北3県」の枠組みの崩壊」の解説
「北東北3県」の枠組みを政治的に形成したことにより、盛岡市には北東北3県を管轄する業務機能が集約したが、それは食品メーカーやスーパーマーケットなどの最寄品関連業種に限られた。また、秋田新幹線の需要の中心は、秋田県と東京都、または秋田県と宮城県との間の旅客であり、間に挟まれた岩手県(盛岡駅)の結節点効果が低いことがわかった(→秋田新幹線#需要)。すなわち、秋田県は宮城県との関係が深くなったのであり、盛岡市を中心都市とする北東北3県による経済圏は形成されなかった。さらに、青森県において、東北新幹線の八戸以北延伸の地元負担額の重荷に加え、北海道新幹線の建設前倒しによって、青森県の財政が逼迫して来たことも判明した。秋田県との関係も予想したほど深まらず、北東北3県での合併で財政難に巻き込まれたくない岩手県は、2003年の青森県知事の交代を機に次第に「南東北」に目を移し始め、北東北3県の枠組みから離れて単独行動をし始めた。 2004年、東北楽天ゴールデンイーグルスが仙台を本拠地とし、2005年以降ホームゲームを開催するようになると、スポーツメディアを経由する情報の影響力によって、東北地方における仙台の影響力は大きなものとなった。また、付随して楽天という巨大なIT企業が東北地方に本格進出して、インターネット経由の情報集散機能が仙台に集約し、政経両面で仙台、すなわち南東北を無視することは難しくなった。 さらに、仙台経済圏が岩手県内の旧仙台藩領域に広がりを見せ始めたため、2004以降、岩手県は、宮城県と合同で大連での商談会や経済事務所の開設をし、更には、南東北(宮城県・山形県)との合同の産業育成政策を提案するに至り、「北東北」から「南東北」へシフトする動きが顕著になってきている。 2006年8月27日、日本地方自治研究学会に北東北3県の知事が招かれた。個別に宮城県との関係が深まった岩手県と秋田県の知事は、各々「道州制導入の際には東北6県で1つの州」と明言し、北東北3県の枠組みは崩壊した(観光面での事業は継続)。
※この「「北東北3県」の枠組みの崩壊」の解説は、「東北地方の経済史」の解説の一部です。
「「北東北3県」の枠組みの崩壊」を含む「東北地方の経済史」の記事については、「東北地方の経済史」の概要を参照ください。
- 「北東北3県」の枠組みの崩壊のページへのリンク