「北東北3県」の試み
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「東北地方の経済史」の記事における「「北東北3県」の試み」の解説
秋田都市圏を抜いて北東北第一の都市圏となった盛岡都市圏と、北上都市圏の工業・流通集積による経済力向上を受け、岩手県知事がリーダーシップをとり、北東北3県(青森県・岩手県・秋田県)を政治的に束ねる試みが行われた。秋田道開通による秋田港~秋田道~北上市(東北道との結節点)の流通ルートの確立、秋田新幹線開業による秋田市と盛岡市の関係の深まりなどを背景として、岩手県と秋田県の2県の話し合いから始まり、後に、東北新幹線が八戸まで延伸された青森県も加わった。 政治的に独立した枠組みとしての「北東北」を確立するため、2010年を目途にした北東北3県の合併(現行法規内)や、将来の道州制(将来構想)も視野に入れた議論を進め、更には3県合同の経済政策を実施した。政治的には、1997年10月の第1回北東北知事サミットに始まり、2001年9月の第5回サミットには北海道の初参加を成功させた。並行して、経済政策としては、札幌・名古屋・大阪・福岡に北東北3県合同のアンテナショップや合同事務所を開設したり、北海道と北東北3県の合同事務所をソウルとシンガポールに開設したりした。2003年には「北東北みらい債」計60億円を3県で共同発行して産業育成を試みた。 これらの施策は、将来の道州制において東北6県で「東北州」となってしまうと、北東北は周辺部になってしまい、中心部である南東北に投資が集中するとの予測があることが背景にある。そのため、北東北3県で「北東北州」となって独立した中心部を持ち、投資を呼び込む窓口を持つという経済的インセンティブによって枠組みがつくられた。また、「北東北州」成立の際は盛岡市を州都にする、という岩手県知事の政治的野心もあった。ただし、北東北3県では市場性に限界があるため北海道に近付いた。他方、陸路で繋がり、経済関係が深い南東北各県との合同施策は1つもつくらなかった。
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