「北東北3県」の試みとは? わかりやすく解説

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「北東北3県」の試み

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/05 16:22 UTC 版)

東北地方の経済史」の記事における「「北東北3県」の試み」の解説

秋田都市圏抜いて北東北第一都市圏となった盛岡都市圏と、北上都市圏工業流通集積による経済力向上を受け、岩手県知事リーダーシップをとり、北東北3県(青森県・岩手県・秋田県)を政治的に束ねる試みが行われた。秋田道開通による秋田港秋田道北上市東北道との結節点)の流通ルート確立秋田新幹線開業による秋田市盛岡市の関係の深まりなどを背景として、岩手県秋田県の2県の話し合いから始まり、後に、東北新幹線八戸まで延伸された青森県加わった政治的に独立した枠組みとしての北東北」を確立するため、2010年目途にした北東北3県の合併現行法規内)や、将来道州制将来構想)も視野入れた議論進め更には3県合同経済政策実施した政治的には、1997年10月第1回北東北知事サミット始まり2001年9月第5回サミットには北海道初参加を成功させた。並行して経済政策としては、札幌名古屋・大阪・福岡北東北3県合同アンテナショップ合同事務所開設したり、北海道北東北3県の合同事務所ソウルシンガポール開設したりした。2003年には「北東北みらい債」計60億円を3県で共同発行して産業育成試みた。 これらの施策は、将来道州制において東北6県で「東北州」となってしまうと、北東北周辺部になってしまい、中心部である南東北投資集中するとの予測があることが背景にある。そのため、北東北3県で「北東北州」となって独立した中心部持ち投資呼び込む窓口を持つという経済的インセンティブによって枠組みつくられた。また、北東北州」成立の際は盛岡市州都にする、という岩手県知事政治的野心もあった。ただし、北東北3県では市場性限界があるため北海道近付いた他方陸路繋がり経済関係が深い南東北各県との合同施策1つもつくらなかった。

※この「「北東北3県」の試み」の解説は、「東北地方の経済史」の解説の一部です。
「「北東北3県」の試み」を含む「東北地方の経済史」の記事については、「東北地方の経済史」の概要を参照ください。

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