「リプカ」の語源
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 04:32 UTC 版)
「リプカ・タタール人」の記事における「「リプカ」の語源」の解説
リプカは古クリミア・タタール語でリトアニアを指す語であった。タタール人の作家S・トゥハン=バラノフスキは、東方系の史料記録に登場している「Libķa/Lipķa」と発音される言葉が、「小さなセイヨウボダイジュ」を意味するポーランド語の「lipka」と混同されたのではないか、と推察している。これは、あまり呼ばれることのない「ウプカ(Łubka)」というポーランド語形が、19世紀末までにクリミア・タタール語でリプカ人を指す語となっていたとこからも裏付けられる。クリミア・タタール人の言う「Lipka Tatarłar」は「リトアニアのタタール人」を意味し、その後ポーランド・リトアニア共和国に住むタタール人達の自称となっていった。 ムスリムであることには違いないが、リプカ・タタール人の慣習や宗教実践は600年以上の間ベラルーシ、リトアニア、ポーランド、ウクライナに住んでいたために、多くのキリスト教的要素を受け入れてきた。その一方でモンゴル帝国に属する遊牧民だった時代の習慣と迷信をも残しており、重要な宗教上の祭儀にさいして雄牛を犠牲として屠るのもその一つである。 長い間、リプカ・タタール人の中級・下級貴族はルテニア語、そして後にはその派生語の一つベラルーシ語を母語とした。ただし、彼らは1930年代までベラルーシ語をアラビア文字で表記していた。リプカ・タタールの上級貴族はポーランド語を話した。 クリミア・ハン国とポーランドとの外交文書において、ポーランド・リトアニア国家は「ポーランド人とリプカ人の国」と呼ばれていた。17世紀までに、ポーランド・リトアニア共和国の公文書にはリプカ・タタールの名前が言及され始めた。
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