「ザ・ファミリー」の時代 ~ カイナー、クレメンテ、スタージェルらの活躍
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「ピッツバーグ・パイレーツ」の記事における「「ザ・ファミリー」の時代 ~ カイナー、クレメンテ、スタージェルらの活躍」の解説
戦後、1946年にラルフ・カイナーがデビューしていきなり新人で本塁打王となり、この年から1952年にかけて7年連続本塁打王に輝いた。ラルフ・カイナーが現れて次の年1946年にはタイガースから右の強打者ハンク・グリーンバーグをトレードで獲得したもののチームの優勝にはつながらなかった。しばらく下位に低迷することが多くなったが、しかし1955年にロベルト・クレメンテ、1956年にはビル・マゼロスキーがメジャーデビューするなど若手選手が充実し、1960年にはダニー・マートーの指揮の元で33年ぶりのリーグ優勝を果たし、ワールドシリーズではミッキー・マントル、ロジャー・マリスの強打コンビとホワイティ・フォード投手の強豪ヤンキースと対戦し、3勝3敗の後の最終第7戦で、9回裏9対9の同点からマゼロスキーがレフトにサヨナラ本塁打を打ち、地元ファンの歓喜の中での劇的な幕切れで3度目のワールドチャンピオンに輝いた。 その後チームは低迷、マートー監督も健康上の問題から監督を退いていたが、1969年に復帰するとチームは再び快進撃を始める。マートーが指揮したパイレーツは、アフリカ系アメリカ人や中南米出身の選手が多く在籍して「ザ・ファミリー」と称される強い結束を誇り、地区優勝6回など黄金時代を築いた。1960年代後半にはウィリー・スタージェルも活躍を見せ、1971年にはクレメンテの大活躍により4度目のワールドシリーズ制覇を成し遂げるが、翌1972年に飛行機事故でクレメンテを失う悲劇に見舞われた。その後地区優勝は果たすもプレーオフで敗退を重ね、ワールドシリーズからは遠のいていたが、1975年にクレメンテの後継としてデーブ・パーカーがメジャーに定着。シスター・スレッジ(英語版)のヒット曲「We Are Family(英語版)」をテーマ曲にした1979年は、スタージェルとパーカー、抑えのケント・テカルヴらの活躍により5度目のワールドチャンピオンに輝いた。
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